菊川の深蒸し茶
菊川茶の歴史

鎌倉時代、栄西禅師によって中国から日本へと伝えられたお茶の文化。
温暖な気候に恵まれた、自然豊かな菊川市で本格的にお茶が栽培されるようになったのは、明治初期のことでした。
それまでお茶は、主に山間部でつくられていましたが、横浜開港によってお茶が重要な輸出品となり、菊川市の東に広がる牧之原台地など平坦な土地で生産されるようになりました。
しかし、当時の牧之原台地は草や木が生い茂り、住む人もいない荒れ果てた土地でした。
菊川の茶畑
そこで、明治2年、身分制度が改められ職を失った江戸の武士たち約300人が牧之原台地に集まり、苦労して開墾し農業を始めました。
また、それまで橋を架けることが禁止されていた大井川に橋ができたことで失業した川越し人足たちも、牧之原台地を開墾してお茶を栽培する仕事に就きました。こうして集団茶園が形成されていったのです。
慣れない作業と重労働で病に倒れる武士も多く、茶園の造成には莫大な費用がかかるなど大変な苦労の連続だったと考えられます。
後に、茶園はまわりに住む農家の人たちによって継承され、さらに開墾は続けられました。
現在6000ヘクタールにも及ぶ広大な牧之原大茶園となれたのは、こうした人々の努力の結晶なのです。
菊川の深蒸し茶
「深むし茶」とは、普通の煎茶より蒸し具合が深いお茶のことをいいます。
山間の茶葉などは、日ざしがやわらかいため葉肉が薄いのですが、菊川の茶葉は、日ざしに恵まれて葉肉が厚くなります。そのため、渋みが強く、製造工程の最初の段階で生葉を蒸す際に、通常よりも1~2分ほど長く、時間をかけて蒸す「深むし」製法が一般的となっています。深く蒸すことで渋みの元となる成分が抑えられ、緑色が濃く、深みのあるまろやかな味わいになります。
もともとは、昭和40年代、菊川市のあるお茶農家が、偶然予定よりも長く蒸してしまった事が、「深むし茶」のはじまりと伝えられております。
その茶を飲んでみると、甘味が強く、お茶を淹れる際の抽出時間も短く済むことがわかりました。そのため、菊川市は「深むし茶」のふるさととも呼ばれています。また、粉がやや多くなりがちですが、これこそが、コクのある風味と美しい濃緑色の大切な要素なのです。
遠州のからっ風と恵まれた太陽光を受けて育つ菊川の深蒸し茶は、アミノ酸をたっぷり含むなど栄養面に優れ、淹れ方も簡単なのでどなたでも美味しく淹れることができます。松永茶舗では、これからもこの製法を大切に受け継いでまいりたいと思っております。